気まぐれ日記 2018年2月

2018年1月はここ

2月2月1日(木)「もう2月だ・・・の風さん」
 天気はやや下り坂か。関東地方は今夜からまた雪が降りそうだ。
 週一のリハビリだが、内科も受診するので、早めに出発した。ところが、いつも比較的空いている内科が、今日はやけに混んでいる。どうやらインフルエンザの影響らしい。マスクをして来たので正解。
 クリニックには10時に着いたが、すべて終わって帰宅したのは午後1時前だった。昼食は抜き(笑)。
 約束していたのでリフォーム会社の営業マンが来た。こちらからの用件は3つあった。2件はトラブルに関することで、根本的な解決は求めていない。営業マンに伝えて、真実が少し判明し、次へ展開してもらえればよい。あと1件は、今年のリフォームの相談だ。昨年ウッドデッキを更新したので、母屋の壁や屋根の汚れが目立つようになったので、その相談だ。そもそも2回目の塗り替えになる築20年はとうに過ぎている。壁や汚れの目立たない塗装を、今回は考えることにした。
 営業マンが帰ってしばらくして雨が降り出した。雪でないだけ良いのかもしれないが、雨は雨で色々と気がふさぐ。
 東京から帰って来てから、仕事のペースがダウンしている。雑務もさっぱり処理できていない。もう2月だというのに。
 思い切って、昨年出した品質管理本の、セミナーの企画提案に対する回答を考えて、送信した。
 しんしんと夜が更けて行ったが、風がないので、音も気配もなく、外は雨が降り続いている。相変わらず、ホームページをアップできない。Website上のファイルマネージャーにつながらないのだ。おかしい。

2月2日(金)「ホームページのドメイン変更・・・の風さん」
 起床したらもう雨は上がっていた。不思議なことに、雨上がりなのに風はあまりない。
 ホームページをアップできなくなって3日目である。原因が分からないこともあるが、これまでも接続できない問題が何度も起きているので、そろそろ決断(ドメインの変更)の時期が来ている気がする。
 インスタントのカレーうどんを食べて、今日も出動した。キャメロンでなく代車なのだが、雑用をため過ぎないためには、やはり行かねばならなかった。
 昨日、再発行依頼していたJAのキャッシュカードが届いた。注意書きの中に、携帯電話などの磁気を発するものと一緒にすると壊れることが書いてあった。やはりこのカードは、他のカードよりも極端に弱いようだ。もちろんこれから注意もするが、ついうっかりということもある。知人からもらったハンドメイドの皮でできたカードケースに入れることにした。月に1回しか使わないのだけどね。
 ATMでそのキャッシュカードを使って無事に現金を引き出すことができた。
 最初の目的地は、昨日行けなかったホームセンターだ。そこで買い物をしてから、引き返す形で大型家電量販店へ。そこでも買い物をし、次はGSへ灯油を購入に行った。まだしばらく寒いので、買い置きがないと不安である。
 これらの用事に2時間半かかったので、随分と効率の悪い走り方をしたことが想像できるだろう。その通りだった。
 夜、少し雑務を片付けてから、これが最後と思いつつ、ホームページのアップを試みた。ダメだった。
 早速、無料のホームページを調べた。重要な条件は、現在保存してあるホームページ用のファイルを一気にアップできること、である。つまりFTP転送ができることが条件である。Website上にファイルの編集と転送機能があれば、自宅にいなくてもホームページが更新できる。そこまでできればなおありがたい。
 こうして選択したドメインにメンバー登録し、……と案外すばやく作業が進んでいくので、期待感が増したが、途中で、無料の場合、広告が表示されることに気付き、中止。
 また別のドメインを探し、再びメンバー登録し、……こちらも作業は順調に進んだ。
 試しに、Website上のファイルマネージャーを使って、トップページをアップしたら、コンテンツが不十分ながらブラウザで表示することができた。
 今夜はここまでにして、明日、一気にアップしよう。

2月3日(土)「とりあえずホームページを一新・・・の風さん」
 朝食後、昨日に続いてホームページのアップ。今回契約したドメインのWebsite上のファイルマネージャーでは、まとめてファイルをアップできない。そこで、長年使っているホームページビルダーのFTPツールを使ってトライすることにした。
 先ず、まじめに転送設定をして、ツールを起動させ、数ファイルのお試し後、既存のフォルダーにあるファイルを一気にアップ(サイト転送)した。できた。できて当然かもしれないが、できるとやはり嬉しい。ネット契約を先日1GBPSに変更した効果もあったのだろう、比較的短時間で全ファイルとフォルダーの転送を完了させることができた。
 ところが、この後、しばらくして、再トライしたとき、また以前のドメインと似た現象が起きた。以前はWebsite上だったが、今回はローカルのホームページビルダーのツール上で、ドメインに接続できなくなったのだ。
 結局、ツールの使用はちょっと諦めて、ページ転送機能で、何とかホームページの更新をしたのだが、誰かに妨害されているようで、正直、怖くなった。
 とりあえず、FBとメールで、ホームページのURLを変更したことを告知した。
 昼食後、天気が好いので、裏の土地の草刈りに出動した。高く伸びた草を、鎌で刈るのである。昨年、ちょっと無理して腰痛になったので、部分的に刈って、またガーデンライトを1台増設した。こうやって少しずつ裏庭を、ワイフのトール教室の生徒さんの駐車場として整備していくつもりである。
 今日も雑務が多かったが、たまっていた名刺の整理もした。
 夜は、ちょっと疲れたので、ネットで映画を観た。アン・ハサウェイの「パッセンジャーズ」である。予備知識なしで、何となく選んだのだが、ミステリー風ながら心理ドラマだったので、私の興味に合い、最後のオチは「シックスセンス」を連想したが、これは心理ドラマとして観るべきだと思った。しかし、もう一度最初からチェックすべきだろう。英会話の勉強としても良さそうだし。
 就寝前はひたすら読書。

2月4日(日)「忙しい日曜日・・・の風さん」
 ホームページのトラブルでかなり仕事を妨害された感じがあるが、頑張って雑務を減らしていかねば。
 外を見ると青空が広がっている。しかし、木々の枝が大きく揺れている。風が強いのだ。
 その風が少しは弱まることを期待しながら、午前中は雑務と並行して hairdye 。
 高速ランチ後、裏の土地へ出動した。背の高い草がまだかなり残っている。隣家との境界部分を集中的に刈った。枯草の間から水仙が伸びていて、もうすぐ咲きそうだ。できるだけ水仙は切らないようにした。腰痛にならないように、適当なところでおしまい。しかし、このペースでは、境界部分だけでも3日はかかるな。
 続けて、1階リビングの壁から電話線が出ている部分がガタがきていたので修理した。壁が欠けてボルト締めの効果がなくなっていたのだ。
 それが終わってすぐユニットバスへ出撃。出撃と書いたのには、それなりの理由がある。天井のLED照明のカバー内に、あの、おぞましい虫の影を発見したからだ。下から叩いても動かないので、死んでいるか、あるいは冬眠(仮死)状態だろう。照明カバーを外し、洗面所でしっかり調査した。茶色のチビゴキで、死んではいなかった。冬眠中にもかかわらず、LEDの暖かさに吸い寄せられて照明カバー内に天井から侵入してきたに違いない。ゴキジェットで昇天してもらった。
 LEDはかなり発熱するので、放熱のために外部へ通じるスリットが切られている。近いうちに、そこをネットでふさごうと思う。
 今週の金曜日に東京で読書感想文の全国コンクールの表彰式がある。出席して受賞した子どもたちと交流するのが楽しみだが、受賞しても来られない子もいる。そういった子が岩手県にいることが分かったので、岩手県和算研究会の菅原会長に電話して、私と出版社からのプレゼントを渡してほしいとお願いしたら、大喜びで、了解してくれた。
 私は特製DVDと特製カードを作ろうと思っている。出版社からは本の贈呈だ。
 特製DVDのためのレーベルの印刷デザインを考えた。ちょっと苦労したが、やはり創作やモノづくりが好きなのだろう。すぐ夢中になってしまう。デザインができたので、明日、印刷する。

2月5日(月)「オリジナル葉書までデザイン・・・の風さん」
 さあ、今日もやることがてんこ盛りだ。しかし、どうしてこうも忙しいのか。
 朝食後、キャメロンの任意保険の継続書類を作成し、続いて、かぶれフリーのヘアカラーを電話で注文した。
 そして、いよいよDVDのオリジナルレーベル印刷。2010年に愛工大を卒業して学位を取得したとき、学位論文を中心に、査読を経て掲載された論文や参考資料をCDにおさめて会社の後輩たちにプレゼントした。そのときCD本体にコンテンツを印刷して以来である。
 あまりにも久しぶりで、プリンターの該当ソフトがインストールされていないことに気付いたのは序の口で、プリンターそのものがビックリしてDVD専用トレイをスムーズに受け入れることができず、ちょっとサポートが必要だった。
 しかし、1枚の失敗もなく完成したのは、我ながら満足満足。
 高速ランチ(卵かけご飯)後、また草刈りに出動した。隣家との境界の2日目である。1回に1坪程度しか刈っていないから偉そうなことは言えないが、昨年の腰痛を再発させてはいけないのだ。
 読書感想文コンクールの受賞者へ贈る私からのオリジナルプレゼントは、特製絵葉書にした。関係者にしか贈呈しないレア物となる。レーベル印刷と同様に、デザインから着手である。凝り性なので、抵抗はないどころか、ついつい夢中になってしまうのが問題だ。
 我ながら満足できるデザインができたので、写真用光沢はがきとインクジェット用はがきの両方に印刷した。受賞者と関係者には写真用を贈呈する。インクジェット用に印刷したものは、今後、色々な場面で使えそうだ。
 表彰式に参加しない子のためには、早く用意して、菅原会長に送らなければならない。
 ホームページのURLが変更になったので、急きょ名刺の追加印刷もした。
 そして、サイン本など一式を用意して、郵送の準備を終えたのは、午前零時過ぎだった。

2月6日(火)「なぜこんなに忙しい・・・の風さん」
 10時起床。就寝が遅かったこともあるが、昨日は、日中、動き回っていたし、寝る前に服用した顎関節炎の薬が効いてもいるのだろう。それでも、時計を見てビックリした。
 ブランチ後、近くのJP分局へ行った。昨夜用意した菅原会長へのレターパックを出すためで、念のため厚さをチェックしてもらったら、楽勝だったので、その場で封をし、そこへ持参のマジックで×を書いた。
 午後一番の仕事は今日も草刈り。隣家との境界部分の3日目で、完了させることができた。
 その後、雑務(身辺整理)をし、夕方から受賞者へ贈る本のサインを始めた。既に岩手県へ送った本もそうだが、パソコンで有澤行書体で名前などを書き、それをお手本に練習してから、実際に本にサインした。自分の名前以外は、生来の利き手である右手で書いた。時間はかかったが、私の精一杯のサインである。
 夕食後、知人からもらったテレビ用のDVDを、ポータブルDVDプレイヤーで再生を試みた。実は、テレビにつないであるDVDプレイヤーでは再生できなかったのだ。知人にその旨伝えると、知人も機種によって再生できたりできなかったりしたそうだ。それで、2台目に挑戦してみたのだが、ダメだった。おかしい。ブルーレイかもしれない(笑)。
 あれこれやっているうちに、今日も夜はしんしんと更けてきた。読書の続きをしなくちゃ。
 現役ならウィークデーだ。子どもたちが小さければ、それなりに見てやることもある。子どもたちも大きくなり、退職したのに、なぜこんなに忙しいのか(作家業以外で)。やらねばならないことは、まだまだ山のようにある。

2月7日(水)「2度目の鑑賞で人生を考えた・・・の風さん」
 もう週一のリハビリの日が来た。クリニックへ向かう途中、代車のフューエルゲージ(燃料計)が給油メッセージを出した。返却時に補充しなければ。それまでもう代車で外出はなしだ。とは言え、すぐ近くの百均には行った。目的の品物が買えた。これでもう他所へ行く用事はない。
 高速ランチ後、今日も裏の土地へ。道路わきの草をむしり(道路に落ちたどろをかきとるのは大変だった)、防草シート周囲に今年初めて除草剤を散布した(防草シートを固定するピンが何本が消失していた)。昨年は、春までに2回散布したのだが、効果があった。今年も同じ効果を狙うし、それで浮いた時間で、内部の草を電動草刈り機で始末するのだ。
 今日も雑務と身辺整理を頑張ったのだが、昨日は高校の同級生から『同窓会だより』に寄稿を依頼され、今日は、名商大から昨年に続いてキャリアデザイン講義を依頼された。どんどん身軽になっていかないと、大きな仕事にはなかなか取り組めない。
 夕食時、グリューワインを1杯飲んで酔っ払ったので、どうせ仕事にならないのなら、と先週観た「パッセンジャーズ」を、今度はリビングのテレビで観た。MacBookAirの接続はすぐできるようになっている。
 2度目の鑑賞で、ますます感動が深まった。私も登場人物と同様に自分の人生に向き合っていた。トラウマやこだわりがあって生きて行く中で葛藤している。何とか解決しようとしている。登場人物たちは、それが精神的に解決したとき、ようやくお迎えが来るわけだが、私の場合はどうか。もし私も、抱えているトラウマやこだわりが、生きることでそうでなくなったときお迎えが来るなら、それは素晴らしい人生だったと言えるのではないか。逆に言うと、人間は生まれた時既に死んでいる。いつかは死ぬことが分かっているということは、死んだも同然。ただし、お迎えが来るまでの間に、(あるかどうか知覚できないが)前世含めてトラウマやこだわりから解放されたいと願いつつ生き続けるのではないだろうか。それが人生というものではないだろうか。そんな気がしたのだ。
 そうなると、私自身も随分と長い年月生きてきたが、まだいくつかのトラウマやこだわりがある。解決できるかどうかは分からないが、それらに向き合って懸命に生きることが、これからも大事な気がする。

2月8日(木)「脳神経多様性・・・の風さん」
 明日から上京すると、しばらくたまった雑務を処理できなくなるので、昨日まで必死にやってきた。草刈りがその良い例だった。しかし、今日は無理は禁物だと思った。昨年は草刈りで人生初の腰痛を発症している。少なくとも今日は草刈りはやめておこう。と思いつつも、買い置きしてある灯油を屋外タンクへ補充することはやっておくことにした。疲労して帰って来て、灯油の補充ができないでいるうちに、石油温風ヒーターが使えなくなるのを恐れたからだ。やはり心配性と貧乏性の気がある。
 その心配性と貧乏性の延長で、準備OKと思っていた、オリジナルのDVDとハガキの追加印刷もしてしまった(笑)。
 たまっている雑誌の一つに『文』がある。公文教育研究会が年に2回出している雑誌だ。最新号だが、面白い情報があった。
 自閉症児には音楽や音に対する優れた感性があるというものだった。4つのクラシック音楽を自閉症とそうでない子に自分で選ばせて好きなだけ聴かせ、その再生時間を比較したデータから、その違いを説明していた。自閉症児は、子どもがあまり選択しない不協和音を主体とした曲や、子どもでは感動しにくいと思われる旋律も好んで聴いているというものだった。そして、自閉症児の比率が、時代を経ても減少していない事実から、メンデルの法則にしたがえば、これは立派な優性遺伝とまでは言わないにしても、少なくとも淘汰されていく遺伝子ではないという指摘が面白かった。これを専門用語で、脳神経多様性(ニューロダイバーシティ)というのだそうだ。
 自分自身の子ども時代を振り返ってみると、どう考えても、自閉症児だったような気がする。しかし、当時は自閉症などという言葉もなかったので、単純な変な子と思われていただけだった。それが幸せだった。差別されたり無理に病院で診てもらうこともなかったから、今日の私という個性が保てているのだ。しょせん私も多様性の中の一つにすぎないのだろう。
 明日は、第63回青少年読書感想文全国コンクールの表彰式がある。課題図書を書いた私も、またそれに対する感想文で表彰される子どもたちも、多様性の中の一人なのだろう。

2月9日(金)「今日は子どもたちに感謝・・・の風さん」
 2年ぶりくらいにワイフを同伴する上京なので、朝から落ち着かなかった。血圧を測ってみると、いつもより高い。
 最初の心配は、新幹線の切符だった。エクスプレス会員の私は、いつもIC(チケットレス)乗車だ。今日は、ワイフの分もエクスプレスで予約購入したので、駅で紙の切符を入手する必要があった。JAカードを1年間に2度も破損させたので、何年かぶりに使う会員カードが破損していないか不安だった。さらに、暗証番号がネット予約のものと違っていないかそれも不安だった。やはり心配性なのである。
 無事にのぞみに乗車できて、不安は一気に消えた。
 天気も好く、富士山が間近に大きく見えて、だんだん気分も盛り上がってきた。
 読書感想文の表彰式とパーティーがあったのは、大手町の経団連会館だった。そこは恐らく初めて。
 到着するとすごい混雑で、社長以下5人くらい来ていた出版社から案内されないと、ちょっととまどいそうな雰囲気だった。クロークに荷物を預け、受付で名札と資料をもらった。会場は広く、決められた席まで、SLA(全国学校図書館協議会)の顔見知りのスタッフに導かれた。
 受賞者の入場から始まった式典は、まるで小中学校の入学式か卒業式の行事のようだった。明らかに子どもたちは午前中にリハーサルをやらされていた感じがする。
 とは言え、賞状を受け取る様子も、代表して感想文を朗読する子も、受賞のあいさつをする子も、皆立派だった。
 私の作品で受賞し、今日招待されていた子は4人だった(1人、インフルエンザのために欠席したのは可哀そうだった)。もし、1人も受賞していなかったら、とても表彰式に来る気にはなれなかった……と言う前に、招待状をもらうまで、正直不安だった(やはり心配性)。名前を呼ばれて起立する子どもたちが、とても誇らしく思えた。彼らのお蔭で、私はここへ来られたのである。ありがとう。
 パーティーでの子どもらとの交流が楽しみだった。ところが、パーティー会場は、想像を絶する混雑で、出版社の人たちが、受賞者の子どもを探し回って、何とか交流できたのである。とにかく、持参したサイン本とオリジナルDVDとハガキを、説明しながら手渡した。彼らも、付き添いの家族や先生と一緒に、写真を撮るのが目的で、実に慌ただしいパーティーだった。挿絵を描いてくれた伊野孝行さんも来ていて、小さな色紙をプレゼントしていた。つまり我々は、受賞した子どもたちに、お祝いと感謝の気持ちを伝えるのに必死だったのだ。出版社とワイフのサポートがなければ、とても一人では対応できなかった。パーティーは立食式で料理や飲み物がたくさん並んでいたのだが、私は飲まず食わず状態だった。
 途中で、別の受賞者の母親が、私の作品のファンだと名乗ってやって来たので、喜んで話をし、息つく間もなかった。
 そうして、1時間半くらいあったパーティーもあっという間に終わってしまった。
 子どもたちとの交流に時間を使っていたので、出版社など関係者との交流はほとんどできなかった。
 最後まで残っていたくもん出版の編集者二人と私たちは、一緒に会場を後にした。電車の中での振り返りの会話は、充実感をかきたてた。やはり主役は子どもたちだった。
 ホテルにチェックインし、部屋に入ってすぐ、どっと疲労感に襲われた。しばらく横になっていたかったほどだが、気合を入れて、外へ出、軽く食事をしてから、近くのエンタメ目的の水族館を見学し(ナイトバージョンのイルカショーが狙い)、帰りに、日本酒中心のショットバーで一杯飲んだ。気疲れのせいだろう。酔いが回るのは早かった(笑)。

2月10日(土)「美術鑑賞よりウォーキング・・・の風さん」
 この時期、都内であまり大きなイベントがなく、私としては国立近代美術館に行くぐらいしか案がなかった。ワイフにとっては初めてだし、美術鑑賞は好きなので、大いにその気になるかと思っていた。ところが「どうせ寝坊して、朝食をゆっくり食べているうちに、時間がなくなってしまうでしょ?」と諦め顔だった。こうなると気合を入れてしまうのが私の悪い癖で、昨日の疲労を感じつつも、必死に起床した。そして、ワイフを急かしてラウンジでの朝食に向かった。
 ホテルの朝食バイキングとはちょっと違って、ファストフードの店のような、食器類はすべて使用後捨てるタイプ、料理も品数は少なかったが、ホテルなので、味はそこそこだった。庶民層の熟年夫婦には、これで十分だった。
 チェックアウトもルームキーをポストへ入れるだけで終了。予定より30分遅れではあったが、美術館へ向かうことになった。しかし、前もって計画していたルートでなく、ウォーキング主体に変更したため、到着は1時間遅れになってしまった(笑)。急がば回れということわざは、今朝は通用しなかった。
 企画展はやめて通常の展示だけを観て回った。岸田劉生の「麗子像」など、観たことのある作品があって楽しかった。
 そこから東京駅まで、またウォーキングになった。天気が好く、皇居の周囲を走っている人がたくさんいた。
 晩ご飯は名古屋から帰省してくる長女と一緒に食べる予定だったので(ちび助も一人でお留守番で寂しがっているだろうと思っていたし)、早めの新幹線に乗車した。
 今日の天気は西から下り坂で、富士山の近くを通過する頃には、曇り空で、全く見えなかった。ウォーキング疲れで、車中で予定していた読書をする気になれなかった。
 名古屋に近付くにつれて、雨が降り出した。東京でのスケジュールが好天の中でこなせてラッキーだった。
 1日半留守にしていたわけだが、ちび助は2日分のキャットフードをほとんど食べていた。
 ワイフは明日は友達とマルシェをするので、長女にも手伝ってもらって、その準備が真夜中に及んだ。私はさっさと就寝。

2月11日(日)「キャメロンの修理完了・・・の風さん」
 昨夜の雨は今朝はもう上がっていた。ただし、強風が吹いている。
 キャメロンの修理が終わったので、カリチューまで受け取りに行った。代車はガス欠寸前だったので、20L給油した。実は、昔、代車の給油を怠ったため、カリチューの数キロ手前でガス欠でエンストしたことがある。長い人生、色々経験してしまうのは、私のチャレンジ好きの性格のせいかもしれない(笑)。しかし、同じことを2度やってしまったら、もう性格ではなく、単なるアホということになるので、気を付けなければならない。
 幸い、修理代金は予算内だった。5月の12か月点検でも、早め早めの修理や予防保全をやるつもり。何せ初年度登録が平成7年3月だから(23歳だ)、人間と同じで健康管理が重要なのだ。
 社長と雑談して、きれいになったキャメロンで家路についた。
 帰りに、家の近くにある盛田酒造の蔵開きに寄った。明後日、お世話になった先生に会うので、お土産用の限定品(大吟醸)を購入した。それにしても強風で、すっかり体が冷えてしまった。
 帰宅して、日光が入る寝室で昼寝した。
 夕方になり、ワイフがマルシェから、友達と会っていた長女も帰宅した。私は昼寝から起きたが、疲労が抜けていない。この時期、風邪ひきだけは要注意だ。悪くするとインフルエンザになってしまう。
 夕食後もリビングで横になって、また寝てしまった。本当に疲れていたようだ。
 午後11時ころ起き出したが、このまま入浴して寝てしまうわけにはいかないので、書斎で少し読書することにした。量子化学の本である。明後日、会う予定の先生のご専門が有機化学で、少し勉強しておく必要があった。

2月12日(月)「量子化学の勉強・・・の風さん」
 朝からナーバス。重要なスケジュールが近付いてきたのに、その準備が思ったように進んでいないからだ。
 とは言え、ワイフのアクアに給油が必要で、ついでに灯油も購入してきた。
 とにかく量子化学をしっかり勉強しなければ。
 大学受験で浪人しているとき、化学もしっかり勉強した。計算問題と有機化学が得意で、準備は完璧だった。ところが、大学に入って化学の勉強がまるで分からなくなってしまった。理由はよく分からない。受験勉強とあまりにも違いがあったせいだろう。
 あれから40年もの年月が経過している。量子化学の本を読んでいて、なぜ大学入学後、一気に化学が分からなくなったのか、あらためて分かった気がした。化学反応と電子雲の関係が理解できていなかったのだ。メカ屋の私にとって、目に見えない電子や電気は苦手だった。化学の受験勉強では計算問題とベンゼン環を中心とした化学式が、見える対象だったので得意になっただけだったのだ。こうして量子化学の本を読んでいると、目に見えないのに、不思議と頭に入って来る。人生経験を積んでいく中で、それなりに受容力が増したのかもしれない。
 夕方、長女の婚約者が食事にやってきた。2度目のきりたんぽパーティーである。
 食後のデザートは婚約者が持ってきたケーキ。昨年の秋田テレビ、そして2015年のBS−TBSに出演した時の録画を婚約者に見せた。
 長女は明日から仕事なので、二人は早めに帰ったが、最近わたしが屋内外で実施した電気工事の結果も、最後に見せた。
 婚約者は、昨年まで建設現場で管理者をしていて、近々、宅配のセールスドライバーになる。人生とは予想もつかない展開になるという見本を示したわけだ(?)。
 二人が帰ってから、また化学の勉強に復帰した。
 なかなか終わらず、就寝は午前3時になってしまった。

2月13日(火)「緊張しまくりの日・・・の風さん」
 9時半起床。毎日寒い。水が冷たい。
 朝食後、量子化学の勉強の続きをやった。10章ある本を、やっと7章まで読み終わった。この続きは行きの電車の中だな。
 もう時間がなかったので、昼も朝食と同じトーストとホットミルクにした。
 駅まで歩いた。寒い。名鉄車中で8章を読み終えた。
 JRに乗り換えて、別の資料を読んでまた勉強した。
 目的地の中部大学まで10分、通学バスに乗った。
 中部大学は2度目の訪問である。約束の4時きっちりに先生を訪問した。昨年のパネルディスカッションでお世話になった先生である。かなり度胸のある私でも、相手が世界的超一流学者なので、きわめて緊張していた。無学ではないにしても浅学で失礼があってはならないという思いがめちゃくちゃ強かった。パネルディスカッションのときもそうだった。
 だから可能な限り、化学の勉強をしてきたし、研究室と先生へのお土産も吟味に吟味して持参した。
 50分ほどの懇談の後、1階下の別の研究室を、先生と一緒に訪ねた。偶然だったのだが、私の母校での先輩がそこで仕事をしていたからだ。教授室へ入るとすぐ、先輩は特許を取得したセンサ付きハンドを持ち出して、説明をしてくれた。年賀状に書いてあった自慢の作品だ。明日、学生の卒研の発表があるという超多忙の日だったが、技術者はどうしても説明したくなるのだ。わかるわかる。
 その後、先生の運転するクルマで名古屋へ向かった。
 実は、ワイフが先生の指定した、国際センターの近くの交差点で待っていた。知らなかったが、先生の奥様もそこが集合地点で、先生のクルマが着いたときには、もうワイフは奥様と接触していた。
 先生の発案で、今夜は近くの焼き鳥屋で会食だったのだ。
 恐れ多いことだったが、勇気を出してお誘いに応じることにしたのだ。
 話上手の奥様のリードで、楽しい会食だった。焼き鳥も絶品だった。
 私たち夫婦は、帰宅してからも興奮が醒めなかった。思い出に残る先生ご夫妻との会食になった。

2月14日(水)「お疲れの1日・・・の風さん」
 昨日の疲れでやや寝坊。
 起きる前に宅配が1件届いた。1か月前に注文した品物だ。有名なブランドだが、こんなに遅いと、客を失うだろう、現代は。
 続けて、茨城で働いている次女からバレンタインチョコが届いた。ドイツ製を選ぶとはなかなか(^_^)。
 元気なワイフの午前中の教室が終わったので、ランチを兼ねて買い物に出かけた。便利なAEONにした。でも、久しぶりだ。
 ランチはワイフが鉄板スパゲティで私は鉄板カレー。それからショッピングになったのだが、私は疲労がとれていないため、休んでばかりいた。あちこちにソファが置いてあるので助かる。
 午後の休憩になり、パンケーキを食べた。甘いものを食べたせいか、次第に元気が出てきた(笑)。
 帰宅してすぐ、裏の土地に出動し、電動草刈り機で雑草を刈った。異常に伸びている部分はないけれど、稲刈りの後のような茎が残っているところは、ナイロンカッターではなかなか切れない。予備バッテリも使って、やれるだけやった。
 続いて、風呂洗いだ。ユニットバスの排水の問題があったが、何のことはない、排水口にゴミがたまっていただけで、それを取り除いてからは、風呂洗い時間が短くなった。
 また元気を使ってしまったので、午後2回目のホットタイム。
 その後、読みかけの量子化学の本をやっと読了した。今年7冊目だ。
 晩ご飯は、私のリクエストでお茶漬け。
 オリンピックの結果が毎日伝わってくる。スポーツ選手は大変だと思う。試合は時間と場所が決まっている。そこへベストの状態を持って行かねばならないからだ。その点、作家は楽だ。締め切りまでのどこかで、自分のベストの作品ができれば良いのだし、たとえベストでなくても、何度か見直しができる。なので、スポーツ選手の活躍は見ているだけで、胸が締め付けられるような感じになる。だから、勝敗よりも、彼らが自己ベストを出したかどうか、出せなくてもそれに近いものが出せたかどうかで、私はいつも評価している。
 スポーツ選手より楽ではあるが、疲労で今日はもう無理そうだったので、早めに就寝することにした。

2月15日(木)「最終講義が中止・・・の風さん」
 週一のリハビリである。久しぶりにキャメロンで行く。そう。先週も先々週も代車だった。
 来週は口腔外科の診察を受けるので、その結果を整形外科の先生に報告しなければならない。それで、次週の予約は少し先になってしまった。
 近所のホームセンターが改装工事で休業なので、立ち寄るのはやめて、ドラッグストアに行った。今日からシニア(60歳以上)割引が3日続くので、薬などのまとめ買いをした。
 リハビリをした後は、不思議と疲労が出る。今日も、帰宅したらぐったりしてきたので、思い切って昼寝した。
 夕方になってメールチェックすると、土曜日に予定されていた真島秀行先生の最終講義の中止連絡が、お茶の水女子大学から入っていた。先生のインフルエンザり患が原因とのこと。非常に残念。再計画があるのか、主催者の学科長にお尋ねすると、先生が回復されてから相談されるとのこと。先になっても、ぜひ開催してほしい。
 とは言え、私の上京計画は中止することにした。予約してあった交通手段を、1件はキャンセルし、1件は先の上京予定に変更した。今日の体調から判断すると、今回の上京は、私にとっても少し負荷が大きかったかもしれない。

2月16日(金)「スポーツはすべて格闘技・・・の風さん」
 昨夜、めまいがすると言って、いつもより早く就寝したワイフが、今朝は珍しく寝坊していた。聞くと、まだめまいが治らないという。病院専用の体温計で測ってみると、熱はない。インフルエンザではなさそうだ。それは良かったが、私の経験からすると、心身の負荷が肉体の限界を超えているわけで、超人と思われるワイフも、そろそろバランスが崩れてきたようだ。
 午後になってもワイフはまだ寝ているという返事。
 今日は風もほとんどなく、絶好の草刈り日和だと思い、草刈りに出動した。
 バッテリ1個分の草刈りをした後、手でむしる作業をした。隅々につたが伸びていたからだ。
 手作業のために、かなり疲労した。
 後片付けをして、家の中に戻ると、ワイフがニコニコしながらリビングでテレビを観ていた。羽生結弦選手のショートプログラムは見逃せなかった、と言うのだ。
 笑顔が語っている通り、羽生選手が異次元の滑りを見せて、1位になっていた。録画を観たが、息を飲む美しさだった。
 私は中学時代からスポーツ観戦(もちろんテレビ)にはまっていて、特にボクシングのファンだった。格闘技に魅せられていた。スポーツは、格闘技でなくても、共通点があると思う。何かと闘って勝つという点だ。そういう意味で、自己ベストを更新した選手は、自分自身に勝ったと私は思う。勝利者だ。
 羽生選手の場合は、そういう勝つ相手は複数あったのではないか。それでも勝つということは、大変な精神力を要すると思う。あの若さでそれができる羽生選手は素晴らしい。
 ワイフは再び、寝室のベッドに戻った。意外とちゃっかりしているので、それほど心配ないのかも。
 夕方、電動草刈り機のナイロンカッターを交換した。分解した回転部品に、ナイロンコードを巻き付けたのだ。
 晩ご飯は、ワイフが起き出して作ってくれた。どうやら回復したらしい。
 テレビを観ない私だが、羽生選手の活躍に刺激されて、ついテレビのスイッチを入れてしまった。
 男子カーリングの試合をライブでやっていた。これも格闘技だと思った。 
 私は早めに就寝したが、明日、トールの教室があるので、ワイフはまた準備のためログに籠っている。タフだなあ。

2月17日(土)「若者の大活躍した日・・・の風さん」
 1年中、花粉症というか過敏症である。しかし、空気が乾燥する冬から、花粉が飛来する春にかけて、危険状態になる。今年もその時期、真っ最中である。とうとう先週からアレルギー対応薬を服用し始めた。昨日は、屋内にいても目が痛くて、コンタクトを外した。今日も朝から晴れてはいるが、風が強く、目がゴロゴロするので、ダイニングのエアコンで空気清浄機能を使ってみた。すると、どうだろう。目の不快感が軽快するのだ。今年は書斎のクーラーが設置して30年近くなるので、エアコンに取り換えようと思っているが、空気清浄機能は必須なような……と思って、ネット検索したら、気休めであり専用機にはかなわないとのこと(笑)。
 昼食後、気になっていた男子フィギュアのフリーを観戦した。2ヶ月練習できなかった羽生選手の体力が一番心配だった。4分半という演技時間は長い。ボクシングの1ラウンドよりも長い。高得点を狙って、後半にジャンプを多くするから、体力が心配だったのだ。もっとも私の心配など、素人判断なので、関係ないのかもしれないが。
 結果は、終盤のジャンプで何度か倒れそうになりながらももちこたえて、またそれが見事というか、下手で倒れそうになるのではなく、明らかに体力不足か右足の不完全復活が原因のように見えたので、素晴らしい演技だった。芸術点もちゃんと評価された。日本中を感動させたので、国民栄誉賞を与えてほしい。
 銀メダルの宇野選手のひょうひょうとしたコメントも面白かった。また、放送してくれなかったが、昨日の信じられない失敗から立ち直ったネイサン・チェンのチャレンジにも感動した。
 真島先生の最終講義が予定通り挙行されていたら、お茶の水女子大学にいる時間帯だったが、羽生選手の歴史的快挙をリアルタイムで観戦できてラッキーだった。
 やや遅れた時間帯に、将棋の藤井聡太五段が朝日杯オープン戦で決勝に進んでいた。こちらも快挙を達成してほしいと願っていたら、ものの見事に成し遂げてくれた。即六段に昇格だそうだ。すごいとしか言いようがない。
 先日接続を諦めたサーバーに試しにアクセスしたら、不思議にもつながった。とりあえず、ホームページを引っ越したと書いて、引っ越し先のURLを明記しておいた。
 今日はなんとか終日アレルギーを抑制できた。

2月18日(日)「20年追いかけた夢・・・の風さん」
 昨夜は強風に加えて雪まで降り出した。急いで、用意してあったバスケットタイプのフードを、裏の土地に設置したライトにかぶせてきた。
 今朝は雪はやんでいたが、相変わらず強風が吹いていた。裏の土地を見に行くと、フードは無事で、取り除いておいた。
 昨日の羽生選手の活躍で元気が出てきたので、今日は、朝から屋内の雑務を真剣に取り組んだ。強風で外へ出られないし。昨秋からの高速の利用明細をプリントアウトし、雑誌のスキャン、大変だったパネルディスカッションの資料を整理し、愛工大の後期の講義資料を整理し終えたところで、もう日が暮れた。
 亡くなって四十九日が過ぎた友人宅をグループで訪問したワイフが帰宅したのは7時過ぎで、しめっぽい空気の中でパンの夕食を終えたころ、また昨日の興奮が期待される時刻になった。オリンピックである。重圧の中で実力を出してほしい選手が登場する。私がまだ学生だったころ、男子のスピードスケート500mは、38秒台が優勝タイムだった。鈴木恵一が活躍していたころの話だ。それが、今では、女子でも38秒台では優勝できない。
 国内外で連戦連勝中の小平奈緒選手が、その抜群の技術と走力を発揮できるかどうか。優勝できて当然と言われていて、その通りのことを成し遂げることができるかどうか。私は、とにかく応援したかった。
 昨日に続いて、彼女もやってくれた。しかも五輪新という36秒94でである。小学生のとき長野オリンピックを見て決意した夢を、31歳の20年目に実現したのである。その20年間の工夫と努力に、頭が下がるし、心を揺さぶられた。
 何十年も夢を追い続けていることでは、私も同じだ。また勇気と元気をもらえた。 

2月19日(月)「少し雑務が進展・・・の風さん」
 やっと風がおさまったようだ。
 昨日に続いて、屋内の雑務に力を入れた。愛工大の前期の講義資料を整理し、すべてをDVDにも収納した。これで、田村先生へ講義終了報告ができる。さらに、岐阜大学フェアの資料も整理した。
 ワイフの要請で1日早くJAへ行って生活費をおろし(年金はありがたい)、気候も良いので風呂掃除もした。
 花粉症対策の加湿+空気清浄は寝室だけだったが、ダイニングのエアコンの空気清浄機能、玄関の加湿器に加えて、書斎にもミニ加湿器を設置した。同時に、アレルギー薬の服用を止めてみた。これで効果があれば、薬の服用がなくなる効果は大きい。
 確定申告のために、長男が早々と帰省してきた。
 毎月17〜19日のどこかでおこなっている墓参に3人で出かけた。墓参日和だったこともあり、あっという間に終了。
 来月の上京タイミングで追加スケジュールの検討をし、成立することがわかったので、1泊することにした。
 その後、少し読書。
 長男が帰省してきたこともあり、夕食にビールを少しだけ飲み、今日の仕事は終了にした。 

2月20日(火)「裏の土地で急展開・・・の風さん」
 数日前から庭の梅が咲き出した。昨年は剪定のし過ぎで実が生らなかった。屋外作業に少しずつ手を出し始めた私も、そろそろ梅の剪定を学ぶ時期に来ているのかもしれない。ああ、やることが多過ぎる(そもそも興味が広範囲にわたるからいけないのだろうけど)。
 昼食後、長男を役場へ連れて行った。長男が確定申告をしている間に、私は税務課へ行き、裏の土地が住宅用地として認めてもらえていないので、何とかしたいと相談したら、あっさりと「はい。申請を受け付けましたので、後日、現地を確認に行かせてもらいます」との返事。申請書も特に不要とのこと。とてもお役所とは思えない柔軟な対応に驚いた。
 確定申告を終えた長男と帰宅してすぐ、裏の土地に出動した。風が強くて草刈りはできないが、クルマの進入口に樹脂製のステップ(段差を緩和するやつね)を6枚並べた。
 これも裏の土地の整備計画の一つだったが、ステップはけっこう高価なので、時期的な優先順位を後ろにしてあった。役場がそのうち現地確認に来ることが決まったので、善は急げと、車庫前のステップを外して移転した。来月くらいから、毎月1枚ずつ購入して復元させることにする(だから半年はかかる)。
 裏の土地を購入した後、雑草の処理などはシルバーさん任せで、駐車場としてもあまり活用できていなかった。そのため、固定資産税の判断がされたとき、住宅用地として認めてもらえなかったのだ。退社して1年が経過してからの私の奮闘ぶりは気まぐれ日記にときどき書いていたが、そろそろ再判断を申請してもよいと思っていた。
 長男が確定申告を終えたので、私も準備に取り掛かることにした。 

2月21日(水)「確定申告の準備に着手・・・の風さん」
 昼食後、京都へ帰る長男を駅まで送った。親として子供のことはいつまでたっても心配の二文字しかないが、じっと我慢して長い目で見てやるしかないと思う。私自身も、きっと長い年月にわたって親を心配させ続けたに違いない。しかし、それでも親からハッパをかけられることはなかった。
 雑務をひと通り終えて、確定申告の準備の続きをやった。先ずは、我が家の家計簿の記入である。昨日から着手していて、直近のデータを記入し終えた。年末と期末の収支は、どうやら赤字ではなかったようだ。ここ1年以上、私の医療費がハンパでなかったので心配していた(その前は手術で入院などあったが、保険金でむしろプラスになっていたのである)。
 続けて、鳴海風の収支記録である。これは家計簿よりかなり厄介だ。先ず、収入からExcelへの入力を始めた。
 毎日オリンピックの気になる試合があり、晩ご飯の後は、ワイフとテレビ観戦している。私には珍しいことだが、4年に1度ということにしておくか。
 明日は、病院へ行くので、早めに就寝した。

2月22日(木)「愛工大お礼奉公の終了・・・の風さん」
 いくらか早く起床。実は、トイレには勉強のために英語関係の本を置いている。今朝、ちょうど読み終わった(笑)。
 キャメロンで口腔外科へ向かった。もう顎の痛みはないが、痛み止め薬のお蔭かもしれず、今後、痛み止めを飲まずに、どうなるか調べることになった。次回の診察は5月。
 GSで灯油を購入し、愛工大へ向かった。
 途中のコンビニでおにぎりを食べた。ベッドサイドで読みかけの文庫を持ってきたので、最後の部分を読んだ。読了した。
 本山キャンパスでレターケースに入っている郵便物を受け取って、自由ヶ丘キャンパスへ向かった。
 田村先生とキャンパス近くの喫茶店で歓談した。ポスドクだった魏さんは、中国へ帰って大学の先生になるとのこと。良いニュースを聞いた。
 続けて、前期と後期の講義資料をすべて保存したDVDと、学生に配布した紙の資料を一式渡しつつ、非常勤講義の最終報告とした。3月で定年となる田村先生は、私の前期の講義を引き継ぐそうで、後期の講義は、八草キャンパスの先生がされるそうだ。
 愛工大入学から10年。大野先生の講義を手伝う形で非常勤講師を務めるようになってから6年くらいだろうか。
 愛工大へのお礼奉公も完全に終了した。
 自由ヶ丘キャンパスから自宅までは約50kmある。一般道を走ってゆっくり帰宅したが、既に5時半。しかし、日が長くなっていて、まだ太陽は沈んでいない。
 晩ご飯にグリューワインを飲んで、その後は、またオリンピックの観戦をした。全力を尽くす選手の姿は尊い。
 リビングで読みかけの本を読了した。今年10冊目。

2月23日(金)「笑顔の裏で・・・の風さん」
 書斎には小さな石油温風ヒーターを置いている。狭いので、できるだけ小さいものを選んだのだが、小さいのでタンク容量も3Lと少ない。なので、補給の頻度が高い。
 補給ついでに、屋外タンクにも買い置き石油を補給した。晴天だが少し風があった。
 本人がインフルエンザになってしまったため、急きょ中止になったお茶の水女子大学の先生の最終講義が、リスケジューリングされた。スカスカのところにはまってほしかったのだが、こちらもリスケジューリングが必要になった。どう考えても、最終講義の優先順位は高いので、その日は、東京とんぼ返りスケジュールになった。
 昼食後、キャメロンで出かけた。基本的に年金生活者なのだが、毎日が日曜日のようでいて日曜日ではない。まるで現役時代と同じように、最適な時間配分を考えながら行動することになっている。
 田舎に住んでいるので、銀行はATMはあっても支店が近くにない。どうしても隣の自治体まで足をのばすことになる。
 二つの通帳を持参して、現金の移動と定期の解約や新規契約をした。ややこしい組み合わせだったが、窓口の若い女性は心得たもので、てきぱきと対応してくれた。それでいて、クールということはなく、余裕があって、マニュアルには決してないと思われるセリフを連発した。私の口座に関するプロフィールは、すべて画面に出ているのだろう。キャッシュカードを求めるとき「マロン・クリームのカードをお願いします」などと言う。この銀行の合併前に作った、オリジナルデザインのキャッシュカードで、30年以上前のレア物だ。ちなみに現在のデザインは、熊のプーさんを選択している。さらに、ちなみにJAカードはサザエさん(笑)。
 定期を1件解約したが、実はそれは変な定期で、もう記憶があいまいだが、残高が赤字になってしまったときに、自動引き落としのトラブルがあって、窓口で相談したら「裏技で対応しましょうか」と言われて作った、たった千円の定期預金だった。
 すると、若い女性銀行員は「その裏技が何だったのか気になりますね」などと笑顔で言うのだ。
 この女性なら、きっと振り込み詐欺で訪れた客はすぐわかり、鮮やかに救ってしまうに違いない。
 続けて、GSへ行き、キャメロンに給油して帰宅した。
 カーリング女子準決勝、日本対韓国戦をテレビ観戦した。予選に続いて、日本が逆転かと思われたが、延長で敗退した。しかし、延長含めて11エンドのうち、普通は有利な後攻を半分ずつおこなうのだが、韓国は7エンドも後攻を取得してかろうじて日本に勝ったのだから、韓国にとっては大苦戦、日本は惜しくも負けたということだ。
 笑顔の向こうにある精神力と努力に喝采を送りたい。きっとオリンピックに参加したすべての選手に、これまでの感動のドラマがあったに違いない。有名人だけではない、できれば無名の人物を主人公にした小説を書いている私は、そういったことに共鳴するのだ。

2月24日(土)「今夜もテレビ観戦・・・の風さん」
 リハビリについて整形外科の診察を受け、延長が決まった。今月いっぱいで丸2年になる。まさかこんなに時間がかかるとは予想もしなかった。でも、あともうひと息だと思う。
 リハビリも終えて、山越えルートで帰宅。スピードは出さないが、たまに右左折で減速するときに、ヒールアンドトウなんぞをやっている。今ではレーシングドライバーでもやっていないだろう。生きた化石になりつつある証拠か。
 インスタントのカレーうどんで昼食を済ませて裏庭へ出撃。のこぎりでザクロの剪定を少ししてから、電動草刈り機の調子を確認。途中でナイロンカッターの出が悪くなった。きつく巻き過ぎたらしい。その後、今年2回目の除草剤の散布。こうやって少しずつ作業をするのは、亡き恩師の仕事ぶりから学んだやり方だ。
 インスタントのエスプレッソコーヒーでひと休憩した後、 hairdye をしながらの雑務。洗い流して、洗濯物を取り込んで、再び雑務に取り組んでいる時に、実家を訪ねていたワイフが帰宅。7時頃だと思っていたのが、6時と意外と早かったのでビックリ。お義母さんが「早く帰りなさい」と急かしたらしい。母親は本当にありがたい。
 急いで洗い物をしながらコーヒーを淹れて、ホットタイムにした。何のことはない。私は主夫に近い。
 夕食後、8時からカーリング女子をテレビ観戦した。息が詰まるような熱戦。昨夜の韓国戦で、LS北見はまた強くなったのだろう。きわどいところで幸運までたぐり寄せた。ドラマチックな銅メダル確保になった。途中で、初種目の女子マススタートで高木菜那選手が金メダルという速報まで入った。
 何年もかけてたどり着いた成果に、既に老境の私でも勇気をもらった。

2月25日(日)「冬の祭典は終了・・・の風さん」
 朝食後、風呂洗いをした。大学生の頃は自分のミッションにしていた仕事だ。昨年のリフォームでユニットバスにしたこともあり、洗う面積が増えた(笑)。バス用洗剤の使用量も多い。そこで、大ざっぱに洗うことにしているのだが、運動量が多いので少し疲れた。
 昼食後、風呂洗いの疲れが出てきた……わけではないが、連日頑張り過ぎたせいだろう(テレビ観戦を含めて)、ぐったりしてきた。
 今日の午後は、常滑市の酒蔵開放を覗きに行く予定だったが、やめることにした。
 そのままベッドにもぐり込んで昼寝。
 5時の町内放送(音楽)が流れる直前に起き出した。しかし、何となく頭が重いので、頭痛薬を飲んだ。
 ホットタイム後、ようやく元気が出てきたので、確定申告の準備の続きを再開した。
 そして、夕食後もそれを継続。冬季五輪は今日で閉幕したが、私のテレビ観戦は昨夜で終了している。
 今回の五輪の好成績の中心は女子スピードスケートであり、その原因は、スピードスケート連盟がナショナルチームを結成し、オランダ人コーチを招いたことだった。やはり総合力で成果を出すのが、日本の特長だろう。

2月26日(月)「時の移り変わり・・・の風さん」
 今日含めて今後の詳細スケジュールを作成し、慌ただしく家を出た。
 徒歩と言うよりやや小走りでJPの分局へ。ちょうど郵便物収集車が来ていたところで、職員が私を見て「手紙を出すのですか?」と聞いてくれた。先ず持参の葉書を渡した。投函しようと思っていたものだ。親切な職員だ。
 ATMを使用したかったのだが、タッチの差で、先を越された。仕方なく、振込用紙を手書きした。時間がないのに、焦るぅ〜(笑)。急いで、某会費をATMで送金。
 今度は駅へ向かって小走りに歩く。予定していた電車に間に合った……が、陸上競技をした後のように足が痛い。筋トレを復活させる日も近いか。
 金山駅の窓口で、ボケの後始末。「すみません。先月、toicaで入ってManacaで出てしまったらしいんです。JRの駅で指摘されました」駅員はすばやく2つのICカードをチェックして確認。処理して「はい。これでtoicaも使えますよ」。
 2階のドトールで、サンドイッチとコーヒーのランチをすませ、復活したtoicaでJRの改札口を通った。
 今日は春のような陽気で、コートを着ていない人も多かった。
 まだ殺風景な鶴舞公園を抜けて、名工大のキャンパスへ。今日は、日本経営工学会中部支部の研究発表・講演会である。11年前から聴講するようになった。作家として講演したこともある。
 田村先生と中国へ帰国する魏さんの発表が続くので、開始時刻から参加したのだが、参加者が少なくて、とても寂しい。途中抜けて内職しようという作戦はすぐに中止し、最後まで聴講した。
 IoT関連の講演は、非常に勉強になった。業界や政府の取り組みの全体像を俯瞰できたからだ。この領域の変化の速度は実に速い。
 日が暮れて懇親会になったが、急に冷え込んできた。参加者は相変わらず少なかった。常連が欠席していた。
 分不相応だったが、参加者が少ないこともあり、乾杯の音頭を私がやることになった。大野先生がお元気で現役だったらなあ、と今さらのように思う。
 その後、田村先生の提案で、近くの居酒屋へ。店主が大野先生と同い年(77歳)で、そろそろ引退しそうとのこと。田村先生の応援の気持ちの現れだった。
 さまざまなことが、時間の経過とともに、状態が変わっていく。寂しくなっていくのを見るのはつらいことだが、今日はそれが多かった。
 すっかり酔っ払ってしまった私が帰宅したのは、午後11時過ぎだった。

2月27日(火)「なかなか仕事ははかどらない・・・の風さん」
 ゴミ出しのスケジュールが変化している。今朝は通常のゴミ出しの日だったので、2階のゴミを出した。身辺整理がもっと進めば、こういったゴミは増えるのだが、なかなかたまらない。
 その身辺処理と雑務を優先的にこなした。あまり頭脳を使わない作業でも、てきぱきとできないのは、昨日の疲れがまだ残っているせいだろう。
 それでも、昼食にインスタントのカレーうどんを食べる頃までにはほぼ終了した。
 天気が好いので、と言うか、明日から雨になりそうなので、思い切って草刈りに出動した。稲刈りの後のように残っている太い茎を、手で刈るのが目的だ。鎌にはギザギザの刃がついているので、うまくやれば切れる。それでも引くときに力は必要なので、それなりに疲れる。
 終わってリビングに入ったら、ワイフが「あとでウォーキングに行こうか」などと私をからかう。半分本気らしいが「よし」と返事をしながら、そのままカーペットの上に大の字になってしまった。
 復活して起き上がったらワイフが2階の長女の部屋でパソコンをいじっていた。明日の仕事のためらしい。覗いてみると、印刷トラブル。ワイヤレスなのだが、通信できているようないないような。そのうちエラーが連発し、プリンターの再起動をする度に捨て打ちをするので、カートリッジを2本交換することになってしまった。機械と相性の悪い人は、機械にも嫌われるのか、こういったトラブルがよく起こる。
 夜は確定申告の準備の続きをやったが、予定の半分もできなかった。

2月28日(水)「春の前触れ・・・の風さん」
 昨日よりさらに早く起きた。今朝は、ゴミ出しはゴミ出しでも、ミックスペーパー限定日である。会社に勤務しているとき、社内では、徐々にゴミの分別が厳しく且つ細分化されていき、ミックスペーパーという分類も発生した。田舎のゴミ出しにも、とうとう、このミックスペーパーが加わった。
 ワイフいわく、ミックスペーパーの収集者は一般ごみのときより1時間くらい早く到着するとのことだった。
 ゴミ出しを終え、朝食を済ませ、名古屋へ出かけるワイフを駅まで送って、戻ってくると、目の前をゴミの収集車が走っていて、我が家の裏にあるゴミ集積場に停車した。
 今朝は、風もなく、春のような陽気を感じていたが(庭の梅は五分咲き)、天気予報では、夜にかけてだんだん崩れて、強い風雨になるとのことだった。それで、昨日に続いて、昼前に裏の土地の草刈りをすることにした。電動草刈り機ではやりにくい部分を手で刈るのである。
 また少し、きれいになったので、気分がよかった。
 ところが、高速ランチ(卵かけご飯)後、体がだるくなってきた。
 日中は、階下と書斎で加湿をしていて、私自身はマスクをしているので、花粉症は何とか防げている。だから、薬は服用していない。薬の副作用で体がだるいのではない。
 とりあえず、またリビングのカーペットの上で横になった。年金生活者の特権だな(笑)。
 ところが、再び起き出して、インスタントコーヒーを飲んでみても、頭がスッキリしないので、頭痛薬を飲んでみた。
 やがて元気が出てきた。雑務は昼までに終えていたので、確定申告の準備の続きを始めた。
 夜になって雨が降り出し、風も強く吹き出した。春の訪れを告げる気象の変化だった。

2018年3月はここ

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